終末のワルキューレでは神VS人類が最終闘争を繰り広げます。
その3回戦に登場した佐々木小次郎はポセイドンとバトル。
小次郎が最速の先読み「千手無双」でポセイドンに挑む戦いはとても見応えがありました。
今回は終末のワルキューレに登場する佐々木小次郎とはどんな人物だったのか、そして作中でも触れられていた宮本武蔵との巌流島での戦いはなぜだったのかについてお届けします。
目次
終末のワルキューレ・佐々木小次郎とは
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今日は佐々木小次郎の場面カットをご紹介❗️
“史上最強の敗者”と呼ばれる小次郎❗️
しかし、今回ばかりは敗れるわけにはいきません…‼️
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終末のワルキューレでポセイドンと戦った佐々木小次郎ですが、小次郎の名を知らない人は多くはないでしょう。
ですが、佐々木小次郎の生涯については謎が多いことで知られています。
そもそも実在した人物なのでしょうか。
佐々木小次郎の出生の謎
小次郎の出生については、はっきりとしたことがわかっておらずさまざまな説があげられています。
- 豊前国田川郡副田庄(現在の福岡県田川郡添田町)の有力豪族佐々木氏のもとに生まれた
- 越前国宇坂庄浄教寺村(現在の福井県福井市浄教寺町)に生まれ、福井にある一乗滝で「燕返し」の修行を行なった
という説などが存在しますが、豊前国田川郡副田庄に生まれ副田庄の有力豪族佐々木氏の一族とされる説が最も有力です。
越前国出身説は宮本武蔵の弟子たちが編纂した「二天記」に記されています。
これらの説については確固たる証拠がなく、小次郎の出生については確定できないというのが本当のところです。
名前や生年も不明な点が多い
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今日ご紹介する場面カットは佐々木小次郎❗️
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佐々木小次郎は姓名や生年についても不明な点が多いです。
まず名前についてですが、
- 宮本武蔵の養子・伊織が建立した「小倉碑文」には小次郎の名は「岩流(巖流)」としか書かれていない
- 沼田延元の生誕から死去までを記した「沼田家記」には”小次郎”とのみ書かれている
と文献によって姓名にばらつきがあります。
「佐々木」の姓が登場するのは武蔵の死後130年経った1776年に書かれた「二天記」の注釈。
本文では「岩流小次郎」となっていてこれは名乗りなのか剣号なのか不明でありより古い史料には佐々木姓は見られません。
「二天記」が拠り所とした「武公伝」では”巌流小次良”・”巌流小次郎”となっています。
佐々木姓は「二天記」の40年前に上演された狂言に登場する「佐々木巖流」から採ったものだという説があり、「二天記」が書かれる頃に佐々木姓が広まったとされています。
そもそも「二天記」は宮本武蔵の伝記なので、佐々木小次郎という名は物語の登場人物として名付けられた架空の名前だといえるのではないでしょうか。
要するに宮本武蔵と戦った相手である「岩流(巖流)」はいても「佐々木小次郎」はいないという説が有力です。
また、生年についても天正もしくは永禄年間とされる記述があるだけで詳細は不明。
宮本武蔵との決闘で敗れ死んだ年齢が18歳と記されていたり老齢だったとの見解があったりと、これもまた出生年が不明のため定かではないようです。
が、老齢だった説の方が有力のようです。
と、佐々木小次郎については不明な部分が多いのですがなぜ宮本武蔵と巌流島で決闘することになったのでしょうか。
終末のワルキューレの佐々木小次郎はなぜ宮本武蔵と巌流島で戦った?
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終末のワルキューレの作中でも佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘について触れられていましたが、その理由は何だったのでしょうか。
剣術家同士の戦い?
佐々木小次郎の出生に関しては諸説ありますが、豊前国で生まれたという説が有力です。
戦国時代の剣豪・富田勢源の弟子とされ、武者修行のため諸国を遍歴し小倉藩の剣術師範となっていた小次郎は一度も負けたことがない地元のの英雄。
一方の宮本武蔵は播磨で生まれ、諸国を回って厳しい修行を積んだことを自身が書いた「五輪書」に記されています。
その武蔵も数々の試合に一度も負けたことがなく、無敗のまま小倉にやってきます。
武蔵がふらりと小倉にやってきたことで小倉藩に二人の無敗の英雄が誕生。
冷静でいられない弟子たちが決着をつけさせようとしたと考えられています。
小次郎としても小倉藩の剣術師範としてのプライドがあったでしょうから武蔵を倒すことに躍進しても何ら不思議ではないですよね。
ということで剣術家同士の力比べの決闘ということになりますが、どうもそれだけではないようです。
小倉藩の陰謀?
戦国時代の佐々木氏は岩石城を拠点とした地方豪族土豪でした。
ところが秀吉の九州平定の際、降伏を余儀なくされこの地を領した細川氏の支配下に入ります。
細川氏からすれば佐々木氏は反乱を起こされれば大変なことになる警戒すべき勢力。
なので佐々木小次郎を剣術師範として優遇し懐柔していたとされます。
ところが小次郎が力をつけ藩の英雄となれば、藩の重鎮にやっかみが生まれるのは必然。
そこに現れたのが宮本武蔵。
武蔵が来たのは本当に偶然だったのか、それとも藩が来るように仕向けたのかは定かではありません。
が、武蔵と決闘させて小次郎を葬ろうと藩の誰かが考えても不思議ではないですよね。
その真相はわかりませんが、何はともあれ小次郎は巌流島の決闘で宮本武蔵に敗れ死んだとされています。
まとめ
終末のワルキューレの佐々木小次郎とはどんな人物なのかとなぜ宮本武蔵と巌流島で戦ったのかについてお届けしました。
佐々木小次郎については不明な部分が多くはっきりしたことはわかっていないのが現状です。
でも終末のワルキューレではポセイドンに勝利!
史上最強のルーザーとして培った戦略で神と戦う様は見ごたえがありました。
ぜひ原作マンガでかっこいい佐々木小次郎に触れてみてください!
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