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スポーツ選手

中田久美バレーボール女子監督の成績は?現役時代の記録や逸話についても

バレーボール女子日本代表監督の中田久美。

チームの指揮を執る彼女の迫力は見ていても圧倒されます。
真剣な表情で采配する中田久美さんの指導者としての成績が気になりますね。

今でこそ「怖い…」というイメージがありますが、中田久美監督も元全日本女子バレーの選手であり長らく活躍されていました。
いったい彼女は現役時代どんな活躍をされ、どんな記録を残されたのでしょうか?

そして若い頃は美人だった!ということで、引退後はモデルの仕事もしていた…とかテレビの生放送で「てめぇら!このヤロー!」と怒鳴りつけたなどの逸話もちらほら…

そんな中田久美さんについて探っていきましょう。

中田久美監督の指導者時代の成績

1995年に現役を引退された後、1996年に全日本のアシスタントコーチに就任されています。

その後は解説者やスポーツコメンテーターとして活動されていましたが、2008年にイタリア1部リーグセリエA「ヴィチェンツァ」の指導者に就任。
日本人女子として海外チームの指導者となったのは彼女が初めてでした。

この時は残念ながらチームの成績は振るわずリーグ戦で惨敗。A2へ降格してしまいます。

帰国後の2012年より、Vプレミアリーグ「久光製薬スプリングス」の監督に就任。監督就任1年目でチームを優勝に導く指導力を発揮されています。

<中田久美監督の指導者時代の成績>
2012年  V・プレミアリーグ女子 準優勝
     天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会 優勝

2013年  V・プレミアリーグ女子 優勝
     日韓Vリーグ・トップマッチ 優勝
     黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会 優勝
     国民体育大会 準優勝
     天皇杯・皇后杯 全日本バレーボール選手権大会 優勝

2014年  V・プレミアリーグ女子 優勝
     AVCアジアクラブ選手権 優勝
     国民体育大会 準優勝
     天皇杯・皇后杯 全日本バレーボール選手権大会 優勝

2015年  V・プレミアリーグ女子 準優勝

2016年  V・プレミアリーグ女子 優勝

2017年5月、女性史上2人目となる全日本女子バレーボール監督に就任されています。

中田久美の現役時代は天才中の天才セッター

中田久美さんは現役中、日本代表セッターとして偉大な功績を残しています。
チームの中心として活躍した彼女の存在は偉大でした。

15歳で日本代表入り!

中田久美さんが日本代表選手に選出されたときの年齢は何と15歳!中学3年生の時です。
もっと驚くのが彼女がバレーボールを始めたのは中学1年生の時。
まさに天才中の天才しか成し得ないことではないでしょうか。

中学卒業後は社会人チーム「日立ベルフィーユ」へ入団します。

その直後から大きく活躍しチームは日本リーグ史上初の全勝優勝を成し遂げることに…
彼女自身も新人賞を獲得したことからチームの優勝に大きく貢献したことは間違いありません。

ちなみにこの時の彼女は16歳3ヶ月。
リーグデビューを果たした最年少記録として、長らく君臨していた大記録でもあります。

そして社会人リーグを引退するまでに4度のMVPを受賞しています。
歴代最多の記録でこちらもまさに天才中の天才しか成し得ないことだと言えますね。

アジア選手権とロス五輪での活躍

1983年から18歳という若さで日本代表のスタメンセッターとして不動の地位を築きます。
176㎝という長身の彼女の高い位置からの早いトス回しは日本のバレーに高速化をもたらし、バレー界に革命を起こしたと言われています。

そして同年のアジア選手権では、当時最強と言われた世界一の中国を倒して優勝しています。

さらに翌年のロサンゼルスオリンピックでも銅メダルを獲得。

この時にはまだ18歳だった中田選手ですが、このロサンゼルスオリンピック以降2012年のロンドンオリンピックまでなんと28年もの間チームはメダルを手にすることができなかったのです。

日本の中心となって活躍した中田久美

ロス五輪で銅メダルを獲得した後、中田選手はソウル、バルセロナとセッターとしてオリンピックに日本チームを導いています。

あと一歩でメダルを逃していますが、この時期はアメリカ、キューバ、ペルーなど他の国々が一気に力をつけて日本を追い越していった時代でした。
ワールドカップや世界選手権でもあと一歩届かずという成績。
そんなバレーボール界の革命ともいえる時代に日本の中心となって奮闘したのが中田久美さんでした。

<中田久美の現役時代の主な戦績>
1982年 世界選手権   4位
1983年 アジア選手権  優勝
1984年 ロス五輪    銅メダル
1985年 ワールドカップ 4位
1986年 世界選手権   7位
1988年 ソウル五輪   4位
1989年 ワールドカップ 4位
1991年 ワールドカップ 7位
1992年 バルセロナ五輪 5位

15歳だった1980年から1992年まで10年以上、セッターとしてチームの司令塔というポジションを死守しています。
そしてオリンピック3大会連続出場という偉大な経歴の持ち主でもあります。

中田久美監督の逸話

すばらしい成績を残しておられる中田久美監督ですが、ちょっとした逸話もあるんです。

若い頃は美人!?

現在は厳しい表情で選手たちを指導する中田久美監督ですが、若い頃が美人!と言われています。

確かに美人です♪
選手時代からかわいい、美人選手としてバレーボール界のアイドル的存在でもありましたが、現役引退後はモデルとして活躍されていた時期もあったんです。
解説者やスポーツキャスター、タレントなどのお仕事も引退後は精力的に行っていて、その頃が一番お綺麗だったのでは?と思われます。

「劣化した」とか「老けた」などと言われたりもしていますが、誰でも歳を重ねればそれなりになるのは当然といえば当然…
個人的には今でも十分お綺麗で美人だと思います。

お顔立ちがはっきりしている方なので若い頃はもっと美人だったというのはうなずけますけどね。

バレー選手だけに身長も高く引き締まった体はほんとうに見栄えがしたことでしょう。

ということで中田久美監督の若い頃はモデル級に美人でした!!

「てめぇら!このヤロー!」事件

とても美人な中田久美さんですが、「怖い!」というイメージもぬぐえない…

その印象を決定付けたのがあるテレビ番組で一括したあの出来事・・・

2004年アテネオリンピック出場を決めた選手たちが出演していたのですが、あまりにもはしゃぎすぎていたため

「てめぇら!このヤロー!」

と思わず怒鳴りつけた出来事。

生放送だっただけにその怒鳴り声は全国に放送されてしまいました。

すぐCMとなったので中田久美さん自身はもうCMに入っていると思ったのかもしれませんが、しっかり聞こえてしまいました。

私もその放送は観ていたのですが、次の画面では今までの選手たちとはうって変わり、表情はこわばり皆固まって「シーーン」としている様には思わず笑ってしまったことを覚えています。

「怖い」というイメージがついてしまったこともうなずけますが、中田久美監督の真面目で筋を通す男前な性格が垣間見えた出来事でもあります。

まとめ

中田久美さんについて探ってきましたがいかがでしたでしょうか。
現在バレーボール女子日本代表監督を務める中田久美さんですが選手としても指導者としても素晴らしい実績を持つ彼女の活躍が楽しみですね!
そして引退後はモデルもしていたくらい若い頃は美人だった!でもちょっと怖い・・・
そんな彼女が率いる全日本女子バレーチーム!
2020年の東京オリンピックで活躍してくれること間違いなしですね!