辛坊治郎さんがパワハラ問題で話題になっていますが、その真相はどうなのでしょうね。
お互いの誤解や見解の違いもありそうですが、そんな辛坊治郎さん、見た目は年齢よりも若く見えますね。
ということで実際の若い頃は何をされていたのか気になったのでそのあたりと、当時読売テレビに入社したきっかけを探っていきたいと思います。
併せてヨットで遭難されたことにも触れてみたいと思います。
辛坊治郎の若い頃と過去の経歴
現在63歳の辛坊治郎さん。(2020年1月現在)
とても若々しいですが、実際の若い頃の経歴とはどういったものだったのでしょうか?
辛坊治郎さんは鳥取県米子市生まれ。
しかし鳥取での生活はわずか2ヶ月で記憶はほとんどないそうです。
父親の転勤で小学校入学前まで全国を転々とし、物心ついたころから大学時代まで埼玉県入間市で過ごされています。
埼玉県立川越高等学校時代は航空部と英語部に所属していた辛坊さん。
その後1浪ののちに早稲田大学法学部に進学されます。
就職活動で埼玉県庁の上級試験に合格され大手企業への内定ももらっていましたが、天は彼をアナウンサーとして進む道を与えたのでした。
アナウンサーとして活躍
辛坊治郎さんは大学卒業後の1980年にアナウンサーとして読売テレビに入社し、「ズームイン!!朝!」の地方リポーターを8年間担当されています。
意外な所では1987年に新語・流行語大賞流行語部門で銀賞を受賞していますがその言葉が「なんぎやなぁ」。
スポーツコーナーで森たけしさんと共に阪神タイガースの不振をぼやいた言葉だそうです。
その翌年には森たけしさんと歌った阪神タイガースの応援歌「負ける気せんね」を発売されています。
1990年には夕方のローカルニュース「ニューススクランブル」のキャスターとして活躍。その傍らに「ウェークアップ!」の司会も務められています。
1995年の阪神・淡路大震災の際には関連ニュースを担当し震災報道の特別番組でキャスターを務めました。
1997年にはアナウンサーから報道局に異動となり、その後1年間ペース大学研究員としてニューヨークに駐在しアメリカのメディア事情を研究されました。
読売テレビ入社のきっかけ
現在は独立されていますが、大学卒業後は読売テレビに入社されています。
辛坊治郎さんは大学3年生の時に司法試験で不合格となり、夏休みを利用し西ヨーロッパ、モロッコ、トルコなどを3か月間旅された経験があります。
4年生の時の就活で埼玉県の上級職試験に合格し、住友商事からの内定をもらっていましたが、大学の就職部の掲示板で見たフジテレビの募集に応募します。
そのきっかけは交通費1000円支給を見かけたことだったとか…
単純な理由のようですが、そもそも辛坊治郎さんは中学時代に将来は放送局で働こうと決心されていました。
その理由はテレビでメキシコ映画を観ていた時に停電になり結末までの15分を観ることができず、放送局のTBSに結末を電話で尋ねました。その時に親切に教えてもらったことでえらく感激した辛坊さんは将来放送局で働こうと決心されたのでした。
フジテレビは最終面接の3名にまで残ったものの落ちてしまいましたが、読売テレビから突然「受けてみないか?」と誘いがあり受験。見事合格します。
辛坊治郎さんは
- 埼玉県の上級職
- 住友商事
- 読売テレビ
と就職先として3つの選択肢を得ていました。
その中で読売テレビに入社したきっかけは
「始業時間が朝10時と一番遅かったから」
と自身の講演会で冗談を言っておられたようですが、中学時代に決心していた道に進まれたのですね。
中学時代に決心していた放送局で働くという夢をを現実にされた辛坊さん。
ただものじゃない何かを感じますよね!
そんな辛坊さん、実はヨットが趣味と話題になっていましたが大変な経験をされているようです。
ヨットで太平洋を横断し遭難
2013年6月に全盲のヨットマン岩本光弘を補助しヨットで太平洋横断にチャレンジしましたが、クジラと思われる生物と衝突してヨットが浸水し遭難。
118番通報した後、10時間近く救難艇で漂流したようです。
海上自衛隊の飛行艇に救助されましたが、救出にかかった費用についての議論もいろいろあったようですね。
とはいえ、大海原を10時間も救難艇でさまよったときは生きた心地がしなかったことでしょう。
助かってほんとうによかったと思います。
まとめ
パワハラで話題になった辛坊治郎さんの若い頃やヨットで遭難したことはほんとうだったことに関して探ってみましたがいかがでしたでしょうか。
辛坊さんはかなりの経歴の持ち主で相当やり手で優秀な人物像がうかがえます。
そんなことから誤解を受けてしまうこともあったかもしれませんね。
円満に解決されてほしいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。