三浦祐太朗さんがテレビで、ある番組に出演されていました。三浦祐太朗さんといえば現在シンガーソングライターとして活躍されていますが、お母さんは元歌手の山口百恵さんですね。
当時人気絶頂の最中、21歳という若さで芸能界を引退された伝説の歌姫です。
そんな山口百恵さんの気になる経歴や生い立ち、現在について調べてみました。
そしておまけとして、山口百恵さんのヒット曲の中で個人的に衝撃を受けた歌詞が唄われている曲を5曲選んでみました。
目次
山口百恵の経歴は?
山口百恵さんは1970年代に活躍した伝説的歌姫です。数々のヒット曲を世に送り出し、後には映画やドラマにも出演しマルチな才能を発揮されていました。
1980年に俳優・三浦友和さんと結婚し芸能界を引退されました。
その後は全くと言っていいほど表舞台に出ることはありませんでした。
先日、久し振りに昭和歌謡でもと思って買った山口百恵。
あれから約40年。
宇崎・阿木コンビ色褪せないなあ。 pic.twitter.com/GN6vbVivII— Tsune Tonai (@tonai_tsune) September 20, 2019
オーディション番組をきっかけに芸能界入り
1971年に始まったオーディション番組「スター誕生」に出場したことをきっかけに芸能界入りします。
この番組の栄えある第一回オーディションでプロデビューを果たしたのが森昌子。翌1972年には桜田淳子がデビュー。そして1973年にこの番組から山口百恵がデビューします。
偶然にも3人は中学3年生で同い年だったことから、花の中3トリオとして注目され、その後は高3トリオと言われるところまで続きます。
歌手としてはキツイと評価されていた
山口百恵さんの所属事務所はホリプロでしたが、当時ホリプロは桜田淳子を獲得したかったようです。
しかし桜田淳子を獲ることができずにやむを得ず獲ったのが山口百恵だったと言われています。
スター誕生の審査員でもあった作詞家の阿久悠さんは「山口百恵は、映画の主人公の妹役ぐらいならできるだろうが、歌手としてはきつい」と評価していたそうです。
そのせいか山口百恵は性を感じさせる歌を歌う早熟な女子学生というコンセプトで売り出そうとされました。
それが当時の時代とマッチしたことと彼女のどこか冷めたような眼差しが多くの人を魅了していきます。
歌手として女優として人気絶頂に
歌手としては「秋桜」「いい日旅立ち」など名曲を歌い、女優としても映画では「伊豆の踊子」「潮騒」などに主演しています。
ドラマでも「赤い運命」や「赤い疑惑」などの赤いシリーズに出演しています。
子どもの時に百恵さんの映画を観に行って感動して泣いたのを覚えています。
赤いシリーズはハマってましたね…欠かさず見てました。
もうこの頃には超人気歌姫、女優として不動の地位を築いていました。
14歳から21歳までの7年間という短い期間で頂点にまで上り詰めた彼女の凄さに脱帽です。
1980年に結婚、そして引退
山口百恵さんは映画やドラマで共演した三浦友和さんと結婚。
芸能界から引退し、それ以降表舞台に出ることは一切ありませんでした。
「結婚したら仕事を辞める、それが私という女の生き方です」大スターから主婦の道へ英断した、山口百恵さん
本日結婚記念日 pic.twitter.com/S70WaRC7HS
— ゆきちゃん (@marinamiries) November 18, 2018
ラストコンサートで「さよならの向こう側」を歌った後、舞台の上にマイクを置くというパフォーマンスを行いました。そして「私のわがままを許してくれてありがとう。幸せになります」と舞台から去ります。
コンサートがテレビで放送されたのか何か情報番組で見たのか記憶が定かではないのですが、その光景をテレビで観ていた私は、百恵さんの決意の固さをひしひしと感じたのを覚えています。
それ以来テレビで「山口百恵」を見ることは二度となくなんだか寂しかったですね…
あの時の百恵さんは最高に綺麗でした♪
その後、1984年に長男の祐太朗さん、1985年に次男の貴大さんが生まれています。
このように芸能界で頂点を極め、結婚後家庭に入り幸せへの階段を登った百恵さんですが、彼女の生い立ちは決して平凡なものでななかったのです。
山口百恵の哀しい生い立ちとは?
伝説的な歌姫として知られる山口百恵さんですが、その生い立ちは複雑なものでした。
自叙伝によって語られた真実
デビュー当時、彼女の生い立ちは母親が離婚し母子家庭で育ったとされていました。
ところが両親は籍が入っておらず、母親は愛人であったことを引退前の1980年5月に発売されベストセラーになった自叙伝「蒼い時」にて語られたのでした。
経済的にとても苦しく、母親が内職で家計を支えながらも生活保護を受けていました。
父親は医者だったそうですが経済的な援助は一切なかったようです。
山口百恵の父親との関係
山口百恵は自叙伝でも「私に父はいない」と語っています。
父親はたまに百恵さんの家に来ていたそうですが百恵さんは父と認めることができなかったのでしょう。
私も当時自叙伝を購入して読みましたが、家に来た父親に窓から石か何かを投げつけたと綴られていたことを覚えています。ずいぶん昔のことなのでうる覚えですがそのような内容だったと思います。
自叙伝には父親が母親の両親に「きちんとする」と話していたと語られていますが、そうはしなかった父親を百恵さんは許すことができなかったのではないでしょうか。
しかし、父親は百恵さんが芸能界にデビューし売れた途端に親権を取ろうとしたといいます。
そればかりか所属事務所に借金をしたり、勝手に移籍話をしてお金をせしめようとしたり…
もともと父親のことを良く思っていなかった百恵さんですが、最後は自分で稼いだお金で多額の手切れ金を渡し縁を切ったとされます。
その父親も亡くなっているそうですがお葬式に行くこともお墓参りに行くこともなかったようです。
このように複雑な生い立ちを背負った百恵さんだからこそ、大人びた歌詞の曲も歌えたのかもしれません。
山口百恵さんの現在は?
国民的大スターだった山口百恵さんですが、今では還暦を迎えられました。
夫である俳優の三浦友和さんに長男の祐太朗さん、次男の貴大さんも芸能界で活動しています。
当の百恵さん自身は本名の「三浦百恵」という名でキルト作家として活躍されています。
ご存知の方も多いと思いますがキルト作家歴は30年以上という大ベテランさんです。
先日は自身の作品集「時間の花束」を発売されたことでも話題に…
山口百恵さんの現在の見た目に驚く。思っていたイメージとかけ離れている。60歳になっても美しいことには変わりなし。#アッコにおまかせ pic.twitter.com/pLs9EZbn1m
— Kenzy (@KenzyPowell) July 28, 2019
作品展などで百恵さんの作品が展示されると大勢の人が押し寄せるようです。
私の町も田舎ですが以前にキルト展があり百恵さんの作品も出品されていました。その時は会場周辺が渋滞するほどの混雑ぶりでした。
やっぱり今でも百恵さんの人気ぶりは色あせていないってことなのでしょうね。
よく、激太りだとか、ただのおばさんになってるとかと言われたりしていますよね。確かに現役時代とはずいぶん変わられた印象もあります。
現在の山口百恵ちゃんにビビりながらショートピース吸ってます。 pic.twitter.com/JPJBkAwzFF
— あおい (@aoigebara) June 21, 2019
が、芸能界を引退して40年以上もたっているわけです。
これまで一度もテレビに出たこともなくずっと主婦をしてこられた百恵さん。一般の普通の主婦の人がたどる道のりを変に飾ることもなく抗うこともなく過ごされてきた姿に私は潔さを感じます。
しかしながら山口百恵さんの人気は健在!彼女の底力はほんとうにすごいです!
次におまけとして私が当時個人的に衝撃だった曲の5選を紹介したいと思います。
印象に深かった曲なのでどうしても紹介したく…よろしければお付き合いくださいませ。
山口百恵の衝撃だった歌詞の曲
当時まだ子供だったせいもありますが、個人的に百恵さんが歌う曲の歌詞に衝撃を受けたものを紹介したいと思います。
ひと夏の経験
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
小さな胸の奥にしまった大切なものをあげるわ
この部分の「女の子の一番大切なもの」って何?と真剣に悩んでいました。
美・サイレント
Be silent,be silent,be silent,be silent
あなたの○○○○が欲しいのです
燃えてる××××が好きだから
という部分の○○○○と××××のところは百恵さんが口パクしかしなくて衝撃でした。
いったい何と言っているのか話題になり、皆いろいろなことを憶測してましたね。
プレイバックPart2
馬鹿にしないでよ そっちのせいよ
ちょっと待って Play Back,Play Back
今の言葉 Play Back,Play Back
馬鹿にしないでよ そっちのせいよ
これは昨夜の私のセリフ
気分次第で抱くだけ抱いて
女はいつも待ってるなんて
坊や、いったい何を教わってきたの
私だって 私だって 疲れるわ
この曲はインパクトが大きかったですね。
「馬鹿にしないでよ」とすごんだような目つきで歌う百恵さんに衝撃!
そして「女はいつも待ってるなんて~坊や・・・」のところ…
「坊や」に衝撃でした…
青い果実
あなたが望むなら
私何をされてもいいわ
いけない娘だと
噂されてもいい
という部分の「何をされてもいい」というフレーズに衝撃でした…
いけない娘って??何?何?という感じでした。
イミテーション・ゴールド
ア・ア・ア イミテーション・ゴールド
若いと思う 今年の人よ
声が違う 年が違う 夢が違う ほくろが違う
ごめんね 去年の人と また比べている
○○が違うが並んだ後の
「ごめんね 去年の人とまた比べている」という部分に衝撃…
どうとらえていいのかよくわからず悩みました…
まとめ
いかがでしたでしょうか。
山口百恵さんの経歴や生い立ち、現在について探ってみました。
決して恵まれてはいなかった環境から伝説の歌姫と呼ばれるまでになった百恵さん。
もしずっと芸能界にいたらどんな活躍をされていたのかと思うと見てみたかった気もします。
数々の名曲も懐かしい感じがしたり逆に新鮮に感じたりします。
40年以上も前の曲なのにスッと口ずさんでしまえるほど…それだけ百恵さんはやっぱり伝説の人ということでしょう。